善意の閾値

募金活動をしている学生をあちこちで見かけた。とある事情によって過去に何度かユニセフ募金をやったりしたことがあるのだが、あれは無駄な行為だと思う。
たとえば僕のような人間は、道を歩いている最中にわざわざ財布を取り出してわざわざ彼らに歩み寄って小銭を投入して背中に喚声を浴びて歩み去るなどとてもできない相談だ、と感じる。おそらくはなにか気恥ずかしさに近い感情なのだと思うのだが、とにかく嫌なのだ。しかも、僕は正直なところ集めた資金の使途に興味がない。要するに僕の善意はその程度のものなのだけれど、その程度の善意でも無駄にしていることになる。
その点コンビニのレジに控えめにおいてある募金箱はいい。なんとなく自然な流れで募金できる。使い道などどうだっていいが、とにかく「いいことをした」という気分になりたいときに手軽にできる。
そういうわけで、以前の僕はよく釣銭を募金箱に投げ込んでいたのだけれど、一円玉を蒐集するようになってからはそれもやらなくなってしまった。要するに僕の善意はその程度のものなのである。