さよならをもういちど

ビデオカメラでとられた人の映像に、意識はあるだろうか。ないだろう。
では、モーションキャプチャだとかなんとかの技術を使って、からだの動きを刻一刻、すべて記録して、それを再生する。その映像(?)に意識はあるだろうか。たぶん、ないだろう。ここまではいい。

ではこんどは、今よりももっとずっと技術が進歩して、人間の脳や体細胞の働きをすべて記録することができるようになったら。それどころか、この世界すべてを記録することができ、それを完璧に再現することが可能だったら。意識は記録されるのだろうか?
されるだろう。されない理由はない。そして、そのなかの誰かは、とっくに結果の確定したことに期待したり、驚いたりするのだ。

ならば、この世界全体そのものが、記録されたものを再生しているだけ、という可能性はないか?われわれがいまこうしていることは実はとっくのとうに終わったことで、リプレイを再生しているだけかもしれない。いつか来た道をなぞっているだけ。物理学者は未来は不確定だ、とか言っているけれども、それは最初に記録されたときの話で、実は未来はとっくに確定しているのではないか。シュレーディンガーのネコはとっくに死んでいるのではないのか。

この世界のオチを知っているラプラスの悪魔が、この世界ではないどこかに存在するのではないか。物理学者がサイコロを前に「世界が分岐する」だとか考える前から、出る目は確定しているのではないか。「あれ犯人ヤスだよ」なんて会話(?)が、どこか高次で行われているのではないか。

別に、どちらでもいっこうに構わない(僕には何の影響もない)のだけれど、考えるだけで、どきどきする。