考えてること

人は、死ぬとみな地獄へゆく。
意識というのは、停止を想定されていない。せいぜい、「次の瞬間」が無限に遠のく程度だ。朽ちてゆく亡骸で、火葬場の火焔の中で、我々の意識は偶然だけを頼りに存続する。
しかし、もはや目は見えず、耳は聞こえず、体は動かないだろう。光も音もない孤独の世界で、口をきくことも体を動かすこともかなわない、これを地獄と呼ばずして、なにが地獄であるだろうか。
前にも似たようなことを書いた気がするも、なかなか気に入ったので公開。
生と死の境界は、ものすごく曖昧だ。我々の意識は、後付けの積み重ねだ。衝突しない(しえない)複数の(あるいは無数の)意識がたとえば僕には宿っているかもしれないが、「意識の個数」なんて、「単語の個数」以上に無意味な概念だ。